バッハの学校 池袋
序文
1983年から1985年にかけて三年間に亘って東京で開催されたバッハ・アカデミーの参加者が集って始められた。このアカデミーは、バッハ指揮者として著名なヘルムート・リリングを中心に、バッハの教会音楽の普及を主たる目的に設立されたシュトゥットガルトの「国際バッハ・アカデミー」の東京版として「国際バッハ・アカデミー」の講師 30名をドイツから招いて開催された。
今日の池袋講義は当初「バッハ・アカデミー東京」としてなお「国際バッハ・アカデミー」との提携下に行なわれ、バッハの教会音楽の研鑽を課題に、バッハ・カンタータを使用して行われた18世紀ライプツィヒ式礼拝式の再現と、そこで取り上げられたカンタータの講解という実践と研究の二面に亘って行われた。また1991年のモーツァルト歿後 200年の記念の年にはモーツァルトの教会音楽を使用してモーツァルト時代のザルツブルグにおけるミサの復元もなされた。
その後、活動はバッハ研究に絞られ、カンタータやミサ等の作品研究及びバロック時代の精神史を軸とした神学・思想史の面からの研究・作品講解がなされて今日に及んでいる。2016年に「バッハの学校」池袋講義の名称に変更。
毎年9月から翌年の7月迄を年会期とし、この間に10ないし12回の講義を開いている。
(記.丸山)
歴史
2020〜22年度講義
今年度のテーマ:ルカ・テキストによる“Magnificat” BWV243a/BWV243に関して、シュッツの筆になるマリアの讃歌との比較及びバッハ自身によるテキストの変更を通じて透視されるバッハのいわば歴史認識について検討する。その過程でバッハのミサと受難物語への付曲法の深い関連性は浮上することになるであろう。マリアの讃歌に内在する詩篇との共鳴がその際の鍵となることは明らかである。即ち今年度は、総じてテキスト=ことばに対するバッハの「読み」の解明が基本的問題になると考えられる。
(記.丸山)
2017〜19年度講義
通常講義(前半)
パストラーレは「牧歌」と訳される。羊の歌、羊飼いの詩 ―― 自然に抱かれた心休まる風景はバッハが生涯をかけて追求した「主の平安」 pax domini と共鳴して諧音を奏でる。とは言え、緑なす生命の樹の影に宿る死の不協和音に似て、BWV131は「パストラーレ」を歌って主の不在を秘かに嘆く。果たしてバッハにとってパストラーレとは何であったのか。バッハの創作の世界におけるパストラーレの作例に基づく検討と、牧歌の歴史を繙いて古代ギリシアから傾聴してバッハの口を衝いたその歌を聴く。歴史は即ち単に遡源して原初を探求することに終始するものではなく、原初に立ってそこから歴史の道を再び歩んで後代を眺め展望するものである。果たし古代ギリシアから遠望して、直接にバッハのパストラーレは目前に浮上して来るのか。バッハから遡って、ギリシアのヘシオドスから歩んで、パストラーレにおける自然の本源を問う。
(記.丸山)
美術史講義
シャルトル探訪 ―― 中世ロマネスクの傑作シャルトルの「神の宮」はしかし中世を超えて、但し歴史を遡って古代ギリシアにその礎石を置いている。
宇宙論と自由七学芸 ―― キリスト教の聖書の使信を視覚化して人の目に説き示すために壮麗な「宮」は現実の世界にその姿を顕現することになった。
メイソンの手による石の建築はその本質において天空・天界を舞台に繰り広げられる神のドラマを映すスクリーンであったという。
美術史講義の今期はスクリーンの一部をルーペで拡大して眺める。テーマは「ばら」となった宇宙etc.
(記.丸山)
通常講義(後半)
Magnificat 再考
以前になされた分析を基に Magnificat BWV 243/243a を軸にバッハの他の作品 BWV 10 等も視野に、バッハ作品におけるマリア像について検討する。併せて BWV1 「輝く明けの明星」に見られる星辰の問題から Magnificat と宇宙論の関係を探る。
(記.丸山)
2016-2017年講義
2016/17年からは、これ迄の哲学的・神学的音楽論を基に、バッハの教会音楽、主としてカンタータの分析・テキスト講解が行われる予定。
(記.丸山)
2015〜2016年講義
今年度はギリシア哲学における宇宙論・調和の論とヨーロッパ音楽の関係をテーマとし、現在は、ギリシア的宇宙論の集大成の上に立って纏められたローマのキケロが遺した『スキピオの夢』を講解。併せてルネサンス時代に発見されてその後の創作・演奏論に多大な影響を与えたと考えられる、同じキケロの『弁論家について』を手掛かりにバロック音楽の主として演奏論について検討している。
(記.丸山)