臼井雅美研究室 - バッハを弾く -
バッハを弾く - バロック運指法 歴史と実践 -
書かれた楽譜に内在する音楽が響きによって具体化され、再現されるとき、鍵盤楽器においては運指法(指使い)の問題を避けて通ることはできない。しかも運指法、つまりどのような指使いによって演奏するかという問題に対する考えは、国や時代によって異なり、さらには音楽作品の形によっても変化してきた。その概略について以下に検討してみる。
今日、ピアノを習い始めるときに必ず通る道に、スケール(音階)の練習がある。24調全ての音階をどのような指使いで弾けば無理なくスムーズに演奏できるかという問いに対する答は周知の事柄であろう。今日一般に用いられている運指法は、音階が自然に流れるようになることをモットーに発想されたものであり、これこそが楽曲をより早く、確実に再現するための第一歩であると考えられている。
このような、音楽の流れを引き出すための運指法という考えは、16世紀には既に確立されてはいた。しかしながら、実はそこに種々の運指法にまつわる問題の萌芽もまた見て取れるのである。例えば、1571年刊のニコラウス・アンメルバッハによる『オルガンまたは楽器のためのタブラチュア』に例示された譜例1の楽譜には、その時代の運指法が添えられている(注1)。この中の例11の譜例を取り上げて見てみたとき、今日行われている運指法と全く異なっていることが分かる。この5度スケールは、右手で奏する場合親指を1、…小指を5とすると、1、2、3、4、5指の順で奏され、また左手も同様に親指を1、…小指を5とすれば、5、4、3、2、1指の順で奏されるのが今日の常識である。しかし、ここで書かれている運指法は右手は2、3、2、3、4指であり、左手は4、3、2、1、2指となっている。今日のものと16世紀の運指法との間に見られるこの違いはどこから来ているのかを調べると、その相違は各時代に固有の考えに基づいているものであることが分かる。つまり16世紀のそれは「良い音」に対して「良い指」を、「悪い音」に対して「悪い指」を用いる、という考えである。ここで言う「良い音」とは、各小節内の強拍に位置する音のことであり、「悪い音」とはその弱拍に位置する音のことである。上記のアンメルバッハの時代の16世紀頃、この考え方を運指法に当てはめるに際してイタリア式、イギリス式の二つの流派があった。
譜例1. アンメルバッハ: 『オルガンまたは楽器のためのタブラチュア』より
イタリア式では、「良い音」には第2、第4指が用いられ、イギリス式では第1、第3、第5指が用いられていた。この違いがどのような起源に遡るのかは分かっていない。
先に述べたアンメルバッハの譜例によれば、ドイツの作曲家であった彼はイタリア式を用いていたということになる。各地の各作曲家がどちらの流派に属していたのかを知るのに、ハワード・ファーガソン著の『鍵盤楽器の解釈 Keyboard Interpretation 』にまとめられている表(図1)は非常に役に立つ(注2)。この表の横軸の左端からL.H.(左手)の上行(ascending)、下行(descending)、二重線を境にしてR.H.(右手)の上行、下行の順に並べられ、太い数字の場所は強拍の位置を示す。縦軸の左端は作曲家の名前であり、上から順に Buchner (ブフナー、c.1520)と Ammerbach (アンメルバッハ、1571)はドイツの、Diruta (ディルータ、1593)はイタリア、Cabezon (カベソン、1578)はスペインの作曲家である。ここまでは、カベソンを別にすれば太字部分に第2指ないし第4、が表記されている。つまり16世紀頃は、ドイツ、イタリアの作曲家は共にイタリア式の運指法を用いていたことが分かる。
図1. H. ファーガソン: 『鍵盤楽器の解釈』より
続いて表のカベソンの下は English Virginalists (イギリスのヴァージナルを使った作曲家兼奏者達=ヴァージナリスト)、つまり W.Bird (バード)や J.Bull (ブル)などを指し、続く Sweelinck (スヴェーリンク、c.1600)がオランダ、Scheidemann (シャイデマン、c.1600)が北ドイツの、Nivers (ニヴェール、1665)、F.Couprin (クープラン、c.1716)が共にフランスの作曲家である。この表によれば、太字部分に第1、第3、第5指が表記されている割合の多いことから、16、17世紀から18世紀に至るイギリス、フランス、ドイツでは概してイギリス式運指法が行われていたと推測される。
もっともイタリア式運指法とイギリス式運指法の響きの違いは、この二つの運指法と、現代運指法(いわゆる今日のスケールの運指法、親指を頻繁に他の指の下をくぐらせながら使用する指使い)との響きの違い程には大きくないと思われる。この響きの違いを知っていただくために私は、既にあげたハワード・ファーガソン著の『鍵盤楽器の解釈』に提示されていた例題の二つの曲を、楽譜に従ってイタリア式、イギリス式の運指法で演奏した(譜例2-a,b 及び 演奏1〜4を参照)。この演奏の最初の曲、譜例2-a、演奏1-2の Buchner (ブフナー、c.1520)の曲では譜面に従うと強拍に第2指、第4指が用いられている。この曲を1回目(演奏1)は譜面につけられたイタリア式による運指法で、2回目(演奏2)に現代運指法(第1、2、3、4指を順に使用し、親指を他の指の下でくぐらせてフレーズをつなげる方法)によって演奏を試みた。
譜例2-a. / 演奏1. 古い運指法による Buchner
演奏2. 現代運指法による Buchner
演奏の二曲目(譜例2-b 演奏3-4)は、イギリスのヴァージナル作曲家の Bull (ブル、before1599)による作品で、譜例に従うと強拍に主に第3指が用いられ、第5指も用いられている。この曲を1回目(演奏3)は譜面につけられたイギリス式による運指法で、2回目(演奏4)に現代運指法によって演奏を試みた。
譜例2-b. / 演奏3. 古い運指法による Bull
演奏4. 現代運指法による Bull
この演奏からわれわれは、イタリア式、イギリス式共に、これらの指使いが生み出す細かい単位のフレーズ構造が、揺れるリズムを持って響いてくるのを聴くことができるであろう。そして現代運指法からは、大きなフレーズが途切れることなくなめらかに響くが、同時にその中に無味乾燥なものを感じることだろう。
運指法の違いから響きの違い、あるいは楽曲構造の大きな違いを捉えることに際して、われわれはそれでは何故、18世紀半ば頃までの作曲家が現代運指法ではなく、イタリアないしイギリス式の古い運指法を使用していたのかについて、作品(楽曲)を構成する音楽的要因をも探らなければならない。既に大バッハの生前に成立した、やがて古典派の活動へと結びついて行くことになる、新しい作曲様式との関連性の面からも追求して行かねばならないであろう。その際の大きな理由のひとつはフレーズを構成する息の長さにあり、また和声構造の拡大にあると考えられる。和声構造のいわゆるカデンツを作り上げる和音連結が複雑になり、それに基づいて作られるメロディーの線が長くなるにつれて、これを途切れることなく演奏することが出来る新しい指使いが求められたと言えるからである。このことは逆に言えば、それまでの大バッハ達の作品では短い、いわゆる「音型」の組み合わせによる作曲法が重要な役割を果たしていたため、この「音型」やそれに相当する短いフレーズの表現に必要な指使いが要求されたのである。大バッハの息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハは1753年出版の著作の中で早くも新しい運指法の必要性を訴えている(注3)。
先ほど、ファーガソンの著作の中の二つの例題曲の、共に古い運指法の演奏効果に対して私は、「細かい単位のフレーズ構造が揺れるリズムを持って響いてくる」と述べた。この「細かい単位のフレーズ構造」とは、例えば1曲目の Buchner (ブフナー)の曲を取り上げれば、冒頭部分の右手の'G A H C D E'の音型を第2、3、2、3、2、3指で演奏したことの結果である。第3指から第2指に移行するとき、第2指は第3指の上をまたいで通過する。ここにスラーの切れ目が生じるのだ。そしてその切れ目は小さな休符のようにわれわれには聴こえてくる。切れ目の前の第3指は、自らの上をまたいで移行する第2指にいわば場所を開け渡すかのように、自然に軽く短く奏されることになる。
その結果、第2指によって奏される最初の音の響きとの間に差というか小さな空間が生じるのである。言い換えれば最初の音から第2指が当てられている音には長いアクセント (―) が、続く第3指による音には短いアクセント (U) がつけられているように演奏されることになるのである。そしてこの長短のアクセントの違いから生まれる「揺れるリズム」は、要するに運指法による必然の結果であり、かつまたこのリズムの長短の違いを響かせるために考案されたのが当時の運指法であるといえる。しかも、このような長短リズムはルネサンス以来の文芸活動=音楽表現活動の中で追求された韻律法に基づく表現法に一致するものでもあり、指使いという、人間の肉体的条件を第一の原因として生み出されたものではない。つまりこの長短のリズムは、時代を遡って古代ギリシアの詩のリズムである、長短(トロカイオス)、短長(イアンボス)、長短短(ダクテュロス)、短短長(アナパイストス)の四つのリズムにあてはまるものであり、例えば先に述べた第3指-第2指の指使いによるリズムは長短 (― U)である。譜面上は4分音符二つ、つまり同一音価である二つの音符が、演奏に際して異なるリズム形をとることになるのである。これはバロック音楽における、いわゆる演奏習慣に属する事柄である(注4)。この記譜された音符と演奏におけるリズムの関係の一例はイネガルと呼ばれる不等分時価にみられる。例えば同じ4分音符でも長さを変えて演奏するイネガルは広く用いられていた。フランソワ・クープランが、イネガルでは弾かない部分にわざわざ「同じ長さで」égalを記したことがそうした演奏習慣についてのよい証しとなる(リズムと演奏習慣の問題については丸山桂介著『バッハ「聖なるもの」の創造』の「Cantable Art・断想」を参照)。
音楽の実践=演奏に用いられることになったこの長短のリズム構造は、本来言語の構造に属するものであり、言葉ないし単語を形作る音節に基づくアクセントである。その音節のリズムの規則的配列によってまとめられるのが韻律法による詩である。ルネサンス時代に古典=ギリシア・ローマの文芸が再認識され、その詩論が音楽の創作法・演奏法にも応用されるようになって以来、音楽のアクセントもまた言葉のアクセントと切り離すことができないものとなった。
音楽と詩(言葉)の結びつきの中心をなしたのが、アリストテレスが悲劇の創作についてまとめた『詩学』であり、この著作をはじめとする古典(ギリシア、ローマ)の創作論に基づく当時の芸術論から、音楽においてこうしたリズム法が形成され、更には修辞学に基づくいわゆる「音型論」を含む創作・演奏法が形成されることになった。
そのような時代思想の中で後世に大きな影響を与える仕事を残した音楽家のひとりが17世紀ドイツの作曲家ハインリヒ・シュッツである。もっともシュッツ自身はこの創作法に関するまとまった著作は残していないが、その弟子のクリストフ・ベルンハルトの著作を通じてわれわれはシュッツの時代の創作・演奏法について知ることができる(注5)。音型論という考えは、いくつかの音やリズムの組み合わせによって作り出される特定の「型」を活用して作品にまとめるもので、例えば「悲しみ(ラメント)」や「十字架」といった描写がそれによって可能になる。例えばわれわれには、バッハの名前そのものがB A C Hの音によって「十字架」の音型を形成するということは広く知られているであろう。
その実際例として、演奏における運指法と「音型(論)」の関係について説明するために私はもうひとつの演奏例を用意した。バッハの「インヴェンション」g mollである(譜例3を参照)。この曲の冒頭、左手の動き(第1小節の8分休符後のGの音から第2小節のDまで)は半音下行するように書かれている。この半音下行はベルンハルトによれば 'Passus duriusculus' =「苦しみ(十字架)の歩み」を表す「音型」である(注6)。これはやがて逆行する鏡像の形(第3小節目の4拍目の8分休符の後のDから第5小節目の頭の音Gまで)をとって右手ソプラノ声部に姿を現すが、この半音上行においても同じ名前になる。
そこで私は、この冒頭部分の左手が半音下行するG・FisとF・EとEs・Dに着目して、この間のFisとF、EとEsの間を切る運指法を考え、3212 3、2 3212 3、23指として、音を切ることで半音下行がより明確に聴こえるようにした。なお、この運指法によれば、同時にバロック時代の音律論における二種類の半音、つまり半音をなす2音のうち一方が線上、他方が線間(ないしその逆)にある半音(大半音)と二つの音が共に線上ないし線間(小半音)の違いもはっきりすることになる。第3指と第2指の交替によって小半音よりも幅広い音程値を持つ大半音にアクセントが置かれるからである(図示すればG-Fis、F-E、Es-Dの大半音)。一方、左手の十字架の歩みに対応する歌として書かれた右手のメロディーは第2指から始めて第4指まで来るとまた第2指にする、という主として古い運指法を用いた。ただし、例えば第1小節の3拍目からのA G Fis E Dのような音階的な5度の下行は1つの単位(音型)として捉えるために、第5、4、3、2、1指で考えた。「インヴェンション」g mollは冒頭の2小節の右手のメロディー+左手の「十字架の歩み」による構造で全体が成り立っているので、この部分をどの指で演奏するかを楽譜に示しておいた(譜例3参照)。
譜例3. Bach: Inventio, g moll, BWV782 (指番号上段: 現代指使い / 下段: 古い指使い)
演奏5. 古い運指法による Inventio, g moll
演奏6. 現代運指法による Inventio, g moll
この、私自身が考えた古い運指法による演奏(演奏5)と、現代運指法による演奏(演奏6)を合わせてお聴きいただくと、運指法の違いによって演奏の内容、ないしその内容がわれわれに訴えかけてくるものの相違が感じられることと考える。つまり、古い運指法で演奏された場合、例えばこの曲の全体を通じて右手と左手に与えられているのが同じ音価の16分音符でありながら右手におけるフレーズの内容と左手によるそれとが異なる「音型」の故に双方の16分音符の流れから全く異なる音価の長さと響きを作り出すことが可能になるのである。つまり古い運指法による響きこそがこの曲の作曲上の構造並びにその構造によって担われている内容と一致するのである。また、現代運指法で演奏された場合、フレーズの横の流れが大きな流れになることが運指法の構造上優先されるので、細かい単位としての「音型」が響きにくくなる点も、二つの異なる運指法による演奏の比較から明らかである。
なお、半音の違いだけに限らず、音程を作り出すのは第一義的には人間の意識であり、指ではない。人間の意識における音程感が充分に磨かれることによって、はじめて正しい音程が作り出される。この点は指使いとあわせて考えられるべき問題である。
いま、バッハの「インヴェンション」のg mollで考えられた古い運指法による演奏は、あくまで左手の音型(Passus duriusculus=十字架の歩み)と、その上につけられている右手の歌の響きを浮かび上がらせるために考えられたので、これ以外の運指法を用いて同じ効果を出すことも可能である。最終的に大事なことは、出来上がった響きがどのように聴こえるかで、どの指使いを用いるのかではないからである。
以上の例から、細かく指換えを強いられる古い運指法が、今日一般に用いられている運指法が主とする大きなフレーズ、ないしは楽曲全体を覆う均一な流れの形成ではなく、バロック時代の作曲・演奏法であるいわゆる音楽修辞法 musica poetica の中で追求された、曲の構造の根幹に置かれた詩のリズムや音型論を具体的な響きとして伝える手段として用いられたことが理解できる。
(注)
- アーノルド・ドメルッチ『17・8世紀の演奏解釈』(浅妻文樹訳、音楽之友社) 第6章302頁の例11より。
- Howard Ferguson: "Keyboard Interpretation from the 14th to the 19th Century", Oxford University Press, 第5章 Fingeringより。
- 古い運指法と現代運指法との違いの決め手のひとつは、親指の使い方にある。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの息子のエマヌエルは、著書『正しいピアノ奏法(上)』(東川清一訳、全音楽譜出版)の第1章において運指法について説明しており、その方法は現代運指法と同じ説明がなされている。つまり、この著書が出版された頃(1753年)には既に現代運指法が用いられはじめていたということになる。
- 同一音価が異なるリズムで奏された演奏習慣については、前出ドルメッチ第3章「リズム変更の慣例」の特に第3節に詳しく述べられている。
- "Die Kompositionslehre Heinrich Schützens in der Fassung seines Schülers Christoph Bernhard", herausgegeben von Joseph Mühler-Blattau, Bärenreiter
- 丸山桂介『神こそわが王』(春秋社) 143、144頁より引用。
作曲家達の示した運指法の譜例
さて、われわれがよく知っているフランソワ・クープランやバッハは、実際彼らの曲の中で古い運指法をどのように指示したのか。われわれに遺された数少ない譜例からそれらを検証してみることにする。
バッハ
バッハの考えていた運指法は、バッハの音楽教育に対する考え方を集約させていると考えられる『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの音楽帳』第1曲の "Applicatio" (図2はバッハの浄書譜、譜例4は現代印刷版)、第9曲目の "Praeambulum" (図3はバッハの浄書譜、譜例5は現代印刷版)に記されている。この "Applicatio" の全ての音につけられた指使いを見ると、第1小節の右手の音階に対して強拍に第3指、弱拍に第4指をつけていることから、彼が自らの作品の演奏にイギリス式運指法を考えていたことが明らかである。また、"Praeambulum" では、アルペッジョ的要素を持ったこの曲を和音で捉えた場合に行われるべき運指法をバッハ自身が書き記している。これに関してアーノルド・ドメルッチは、この曲を曲の原型ないし根幹をなす和音に置換した場合の譜例(譜例6参照)を、われわれによく分かる形で彼自身の著書の『17・8世紀の演奏解釈』(第6章 位置と運指法)の中で提示している。この "Praeambulum" の中で例えば22小節目の右手の最後の音「B」と23小節目の最初の音「As」ではそれぞれ第2指、第3指がつけられている(譜例5の2段目の矢印参照)。ここでは右手の第2指を第3指がまたいで下行するという指の運びがなされる。つまり、この「B」と「As」の音の間には明らかに構造的な切れ目があることを意味し、決してつないで演奏してはならないということを表わしている。この切れは、それぞれの音が別の和声グループに所属しているという理由から生じるフレーズの切れ目なのである(譜例6のドルメッチによる和声アナリーゼ版の同ヶ所につけた二つの矢印部分を参照すると、和声の違いがはっきり分かる)。
図2. / 譜例4. W.F.B.の音楽帳より第1曲 "Applicatio"
(上: バッハの浄書譜[出典: http://imslp.org/] / 下: 現代印刷版)
図3. / 譜例5. W.F.B.の音楽帳より第9曲 "Praeambulum"
(上: バッハの浄書譜[出典: http://imslp.org/] / 下: 現代印刷版(17小節目以降))
譜例6. 第9曲 "Praeambulum", ドルメッチによる和声アナリーゼ (15-28小節目)
バッハの曲の運指法を考える上での資料として遺されているものの別の例としては、譜例7の "Das Wohltemperirte Clavier II" の "Fughetta BWV 870a" がある。この資料はバッハの弟子であり、バッハ自身から自分の育てた最もすぐれたオルガンの名手といわしめた、ワイマルの宮廷オルガニストであったヨハン・カスパル・フォーグラーの手による装飾音と指使いが書き込まれた楽譜から引用したものであるが、バッハの教えを受けた彼のこの譜例によるとこの曲の第25小節目の左手1、2拍の一連の16分音符には第5、2、1、2、1、2、1、4指と記されているが、これは、バッハがここでやはり古い運指法を考えていたことを表すものであると考えられる。
譜例7. Bach: Das Wohltemperirte Clavier II ~, "Fughetta" (BWV870a)
バッハがイタリア式でなく、イギリス式運指法を考えていた理由については、エマヌエル・バッハの記述をひとつの例証としてあげることができる ― 「今は亡き私の父の話によると、彼が若い頃音が遠くに飛ぶときだけしか親指を使わない巨匠の演奏を聞いたそうである。」(注7) ―
これはバッハが北ドイツのリューベックに赴いた際のブクステフーデの演奏のことと考えられている。ブクステフーデは、イギリスの影響を受けているフランドル楽派のスヴェーリンクの弟子であり、バッハがブクステフーデの影響を大きく受けたということは既に広く知られていることである。
スヴェーリンク
スヴェーリンクの「五つのトッカータ」の "Echo Fantasia" からの運指法を見ると(譜例8)、基本的にはイギリス式運指法の強拍に第3指、第5指を使用しているが、時折第2指、第4指も現れている。
譜例8. スヴェーリンク:『五つのトッカータ』 ~ "Echo Fantasia" からの運指法
クープラン
フランソワ・クープランの著書の『クラヴサン奏法』からとられた譜例9の運指法ではイギリス式運指法が用いられているが、さらに、手の自然なポジションを保ちつつ常に手を静かに移動させながら奏するということに注意を促していることが分かる。また,譜例10の三度の連続の楽譜の中で、常に第2、4指で、しかしこれも手の形を同一に保ちながら静かに移動させつつ上行、下行するという運指法を用いている。また譜例11の例のように、二つずつの音にスラーがかかっている場合は第5、3指から第4、2指を用いることでスラーの間をレガートで奏することが可能になる。
譜例9. クープラン:『クラヴサン奏法』 ~ "L'Atalante"
譜例10. クープラン:『クラヴサン奏法』 ~ 三度の連続
譜例11. クープラン:『クラヴサン奏法』 ~ 三度の連続
ベートーヴェン
19世紀の作曲家のベートーヴェンやショパンも、幼少においてはチェンバロ、クラヴィコード、オルガンなどの楽器で演奏の手ほどきを受けていたので、古い時代の運指法を習っていた筈である。その例証を紹介してみることにする。
譜例12のチェロとピアノのためのソナタ Op.69 の第2楽章を見ると、スラーのついた同音を第4指と第3指で奏するように指示している。このことが意味することは、第4指で奏された方に、よりテヌートがかかり(つまり長く保たれる)、リズムが ― U (長短)になるということである。
譜例12. ベートーヴェン:『チェロとピアノのためのソナタ』, Op.69, 第2楽章 冒頭
同様の使い方が、譜例13、譜例14のピアノ・ソナタ Op.106 の緩徐楽章や Op.110 の第3楽章に現れている。このような響きは古い時代からの伝統的な指使いを示すものであると同時に、この第4、3指の交替を速く行った場合には、ヴィブラートと同じ効果をもたらすことになる。Op.110の第4、3指による同音反復がそれであるが、このヴィブラートはベートーヴェンがボン時代に親しんでいた鍵盤楽器のクラヴィコードの特徴であり、鍵盤楽器の中で唯一この楽器によってのみ可能な表現法である。
譜例13. ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ, Op.106, 第3楽章 165小節目~
譜例14. ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ, Op.110, 第3楽章 5小節目~
ショパン
ショパンの作品中に見られる古い運指法の例は譜例15のエチュード Op.10-2 である。特にこの曲の場合、右手の下声部の和音が第1、2指で刻まれるので、上声部の半音階は第3、4、5指のみで演奏されることになり必然的に古い運指法になっているわけである。ショパンは幼少時代に学んだ古楽器で古い運指法を習得していた筈で、このような運指法はショパンにとっては特別に難しいものではなかったと考えられる。
譜例15. ショパン: エチュード, Op.10-2 冒頭
現在のピアノで古い運指法で奏することは一見大変な作業に考えられるかもしれない。何故なら古楽器のタッチと違い、ピアノの鍵盤は重く、またより深く沈むように作られているからである。従って親指を使用しないで指を運んでいくテクニックを身につけることは確かにそう容易なことではないだろう。しかし、今日ピアノでバッハの作品やバッハ以外のバロック時代の作品が演奏されるのもまれなことではない。例えばバッハの3、4声ないしそれ以上の多声部のフーガを演奏するとき、先ほどのショパンのエチュードで見られたように必然的に古い運指法が使用される。従って現在のピアニストも古い運指法を、現代運指法と同様自由に使いこなせるということが理想であると考える。しかしその時に問題となるのは未熟なテクニックで古い運指法を使用した場合、フレーズ、またはスラーの切れ目がこま切れになるので、そのこま切れの切れ目がブツブツと切れて聴こえる可能性が高くなるということである。その問題は奏する際の手の、または体全体のテクニックの問題と密接に結びついて来る。いかにして正しく奏され、正しいテクニックで古い運指法が用いられるべきか、資料を用いながら次に述べることにする。
(注)
古い運指法で奏するためのテクニック、または図像
演奏をどの指で行ったのかということは、聴衆は実際知ることができない。聴衆は常に響いている音楽を捉えているのであり、演奏者は最終的にはどの運指法を用いるか、ではなく、用いた運指法でもって音楽がどのように響くのかを追求しなければならない。従ってその際、演奏者自身の確かな耳と判断力で自身の演奏の善し悪しを聴き分けなければならないことは自明のことである。そのためにいかに正しい体の姿勢をとるか、正しいタッチで打鍵しているのかを確認することは、運指法以前の問題なのである。
正しく鍵盤楽器を打鍵するという問題に対して、前にとりあげたアーノルド・ドルメッチの著書に『17・8世紀の演奏解釈』第6章「運指法」の中で、1597年に発表されたイタリアの作曲家ディルータの書の『オルガンおよび羽軸楽器の正しい奏法についての対話』で述べている内容が引用されている。その引用文の一部を紹介すると(注8) ―
- 奏者は鍵盤の中央に座らねばならぬ
- 奏者の身体と頭は、真っ直ぐ優雅に保たれ、演奏中もこれらを動かしてはならぬ
- 腕で手を動かすべし。腕と手は水平に保たれ、どちらか一方が高すぎたり、低すぎたりしてはならぬ。これは手首を正しい高さに保つことによって可能となる。
- 指は真っ直ぐでなく、やや曲げて鍵に置かれ、手は軽く楽々とした状態に保つ。でなければ、敏活、かつ迅速な指の動きは不可能となる。
- 最後に、鍵は軽く押されるべきで、けっして打ってはならない。指を鍵から離すときは引くようにする。
特にこの5.の記述が鍵盤楽器を打鍵する際重要なポイントとなる。具体的に言えば、指は常に次に打鍵されるべき音の鍵盤の上に置かれ、かつ鍵盤に触れて(タッチ)いることが望まれるのである。もし指が鍵盤からたとえ1cmでも上に離れていれば、その場所から打鍵された場合その音を「打って」しまうことになる。タッチするとは言葉の通り「触れる」または「触る」という意味であるが、このことが結局は鍵盤楽器を演奏する上で最も難しいテクニックのひとつである。鍵盤に触れた指は即座に次にどのような音色を出すべきかを判断した脳の指令を受けて、脱力した良い状態でその理想的な音を響かせることができるのである。さらに「指を鍵盤から離すときは引くようにする」という部分の記述は特に、クラヴィコードで試みるとよく理解できるのであるが、クラヴィコードという楽器はその構造上、先ほど述べたように常に鍵盤に触れた指が打鍵される際にその指を演奏者の体の方向へ引くように打鍵された時に初めて、その楽器の美しい響きを奏で得るのであって、他の方法、例えば上から「打って」いる限り音楽的な音を発し得ないのである。しかもこのテクニックは古い運指法で演奏される場合も、現代運指法で演奏される場合も、どのような種類の鍵盤楽器においても同様に追求されるべき内容である。このテクニックでもって初めて、打鍵された音はいかなる種類の音色においても明確に響かせることができるのである。
そして次に紹介するのが、これらのディルークの言を図像的に示しているいくつかの図である(図4〜7)。これらの図は全て、アメリカン音楽楽器組合のジャーナル Journal of the American nusical Instrument Society 出版の「古い時代の鍵盤楽器のテクニックの外観: 古い時代の論文と図像的記録に見られる手と指の配置 Aspects of Early keyboard Technique: Hand and Finger Positions, as seen in Early Treatises and Iconographical Documents, ベルナルド・ブラウシュリ Bernard Brauchli」につけられていた図を参考にし、引用した。
図4は、オランダの画家ステーンの「音楽教師」(1671、ロンドン・ナショナルギャラリー)で、チェンバロを弾く女性が描かれているが、この真っ直ぐに伸びた背中と頭の姿勢が脱力された腕の運びと指の動きを作り出すわけである。
図5はコクシー(1499-1592)の「聖チェチーリア(ヴァージナル)」(マドリッド・プラド美術館)によるもので、ヴァージナルを弾く場合の無理のない、すらっと伸びた指のポジションが描かれている。
図6は聖バルトロメウスの祭壇画を描いた名匠(1470頃-1510)の手になる「聖チェチーリア」(ケルン・ヴァールラフリヒャルツ美術館)で、小型のオルガンを弾いているシーンを描いたものだが、オルガンの手前の天上のキリストを表わす神の羊や背後の天使の姿からして第2、第4指でもって長3度を鳴らしているところと考えられる。長3度の響きは天上の響きを伝える和音だからである。その天井の響きをチェチーリアがイタリアで考えられていた「良い指」である第2、第4指で鳴らしていると考えることができる。
図7は、オランダ・デン・ハーグのヘメーンテ美術館にあるオランダの画家ムィッケンズの「クラヴィコードを弾く二つの肖像」(1648)であるが、ここでは演奏家は鍵盤を右手の第3指、左手の第2、4指で押さえている。フランドル地方はイタリア、イギリス両方の音楽家の影響を受けているので、このように「良い指」に関する考えも混在していたのではないかと考えられる。
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図4: Jan Steen: "Acta virum probant", 1659, London National Gallery
図5: Michiel Coxcie: "Santa Cecilia", 1569, Museo del Prado
図6: "Santa Cecilia", 1490-5, Meister des Bartholomäus-Altars, Köln Wallraf-Richartz-Museum
図7: Jan Barendsz Muyckens: "Couple at the Clavichord", 1648, Gemeentemuseum
これまで運指法について古い時代の方法と現代の方法における実際の響きの違いや、作曲家ごとの伝統や考えの違い、そして運指法を駆使するためのテクニックを述べてきたが、結論として次のことが言えるだろう。
「演奏者はまず、書かれた楽譜を良く読み、作曲家の属していた伝統と作曲の意図を調べ、その意図を響かせるために必要とされる適切な運指法を考え、正しいテクニックでその意図が響きによって浮かび上がるよう努力すること。その際作曲家の生きた時代背景をも考慮して運指法を考えること。」
そしてこのことを追求していくと、われわれは演奏においてひとつの目標に辿りつくことができる。17世紀の鍵盤楽器の作曲の歴史において最初にして最も偉大なイタリアの作曲家フレスコバルディの、『トッカータ集』冒頭につけられた序文の中に当時は当然のごとく行われていたいわゆるカンタービレな奏法 (affetti cantabili) に関する、いくつかの注意書きが添えられている。この、con affetti cantabili の奏法こそ、これまで追求された運指法が目指す最終目標となるわけである。フレスコバルディは、この affetti cantabili が何かということは直接述べていない。しかし、この注意書きの第1番目の項目で、それがどのような響きであるのかの大きなヒントを与えてくれている(注9)。
フレスコバルディは、この序文でもってわれわれがトッカータという内容の楽曲をどのように捉えるべきかを示してくれた。フレスコバルディの意見が当然バッハのプレリュードやプレアンブルム、ファンタジアなどの楽曲を演奏する際にもあてはまることは言うまでもない。何故ならバッハも『インヴェンションとシンフォニア』の冒頭に「正しい手引き (Auffrichtige Anleitung) 」なる序文でもってフレスコバルディ同様の言葉を用いて記しているからである。
その原文が(注10) ―
Auffrichtige Anleitung,
Wormit denen Liebhabern des Clavires, besonders aber denen Lehrbegierigen, eine deütliche Art gezeiget wird, nicht alleine (1) mit 2 Stimmen reine spielen zu lernen, sondern auch bey weiteren progressen (2) mit dreyen obligaten Partien richtig und wohl zu verfahren, anbey auch zugleich gute inventiones nicht alleine zu bekommen, sondern auch selbige wohl durchzuführen, am allermeisten aber eine cantable Art im Spielen zu erlangen, und darneben einen starcken Vorschmack von der Composition zu überkommen.
Verfertiget
von
Joh. Seb. Bach.
Hochfürstlich Anhalt-Cöthenischen Capellmeister
Anno Christi 1723.
正しい手引き
クラヴィーアの愛好家、とりわけて学習希望者が (1) 2声できれいに奏することだけでなく、さらに上達したならば (2) 3つの主要声部を正しくそして上手に処理することを学び、それと同時にすぐれた楽想を手に入れるだけでなく、それらを巧みに展開すること、そしてとりわけカンタービレな奏法を習得し、それとともに作曲の予備知識を得るために。
1723年
アンハルト=ケーテン公の宮廷楽長
ヨーハン・セバスティアン・バッハ作
また、バッハ自身がフレスコバルディのミサ曲『音楽の花束』(Fioli Musicali) の写譜を蔵書していたことからもバッハがフレスコバルディを高く評価していたことは明らかである。さらに、このカンタービレ奏法が息子のエマヌエル・バッハ、その友人ネーフェの弟子であったベートーヴェン、そしてロマン派のショパンまで受け継がれていったということは歴史的資料の面からも裏付けられる。ただし、ロマン派の楽曲はスケールが大きく作曲されているので全て古い運指法で奏することはもちろん不可能である。ここで取り上げた資料を参考に、どの箇所で古い運指法が使われるべきか、あるいは使うことが可能かを譜面から再考、判断されるのが望ましい。
(注)
録音演奏に関する解説
この記事で試聴可能な『15のインヴェンションとシンフォニア』は全て、私自身の考えた古い運指法によって録音演奏されている。その際、イタリア式かイギリス式かを考える以前に、各曲の中のテーマを形作っている「音型」及びその展開・配置を意味するフィグーラが何か、そのフィグーラがどのように響くべきかを考慮して指使いが決められた。
そしてその演奏はフレスコバルディの序文の中に書かれているように、マドリガーレに対応して行われるべき演奏であるカンタービレを目指した。つまり各フィグーラを響かせる各々の拍節がときにその打鍵によって物憂い響きに、また時に速度を持って生き生きとなるよう、そして拍節が決して規則的に、機械的に打たれないよう注意した。フィグーラが物憂い響きになるとき、その打鍵のスピードは当然遅くなる。従ってテンポはそれによって若干ゆるやかになる。全てフィグーラの性格はその打鍵のスピードによって決まる。古い運指法では、特に右手の場合において親指を使う頻度が極端に少なく、第1、5指を除いた三本の指で打鍵されることが多いので、指の長さの構造上、長さが比較的同じくらいの第2、3、4指で演奏すると打鍵のスピードをゆるめたり、速くしたりすることが現代運指法よりも巧みに行えるのである。もっとも、古い運指法であろうが現代運指法であろうが、この打鍵のスピードを自在に駆使するテクニックで常に演奏が追求されるべきである。そして、この打鍵のスピードを自由に操るテクニックによってフレスコバルディの言うところの affetti cantabili、またバッハの言うところの Cantable Art が実現可能になるのである。
また、この30曲の曲順は、バッハがインヴェンションとシンフォニア』というタイトルでまとめ直し浄書譜の形で後世に伝える以前に記帳された『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの音楽帳』の中の順番で演奏されている。こちらの順番では、「インヴェンション」、「シンフォニア」共にハ長調からロ短調まで上昇し、変ロ長調からハ短調に還る、という調性順がとられている。バッハが、「インヴェンション」を「プレアンブルム」、また「シンフォニア」を「ファンタジア」の名でもって『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの音楽帳』にまとめた時に何故、この配列法である、調性が上昇し、また下行する順をとったのかについての詳しいことはわかっていない。ただ、この曲順で注目すべきことは冒頭のハ長調(C)、上昇して第7、8、9曲目にあたるロ短調(h)、変ロ長調(B)、イ長調(A)、そして最後の曲のハ短調(c)の曲が十字架を描いてバッハその人の名を響かせる、という点である(図8)。
図8. Inventio 15曲のW.F.B.の音楽帳の配置
さらに、この『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの音楽帳』の曲順で演奏されると、第9曲目のイ長調の後、第10曲目のト短調から第11曲目のヘ短調……と下行する際に響きが突然暗く、重くなり、バッハの音楽において「死、埋葬」を意味するハ短調までの下行線が調的カタバシスとなってわれわれの魂に語りかけてくるのが捉えられる筈である。
バッハの音楽教育に対する、あるいは音楽そのもの全てに対する考え方を集約したと言って過言ではない、この『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの音楽帳』の最後の部分がこの『インヴェンションとシンフォニア(プレアンブルムとファンタジア)』によって埋められている。譜面を一見すると、同曲集に書きつけられた他のプレリュードなどよりも簡単に演奏できそうに見えるこれらの曲の数々が、バッハの言葉の "Cantable" をもって演奏されなければならないというバッハの言葉に照らされるとき、突然のようにその相貌を変える。演奏家にとっておそらく "Cantable Art" によるこの曲集の演奏こそ追求しても追求してもついに完成の域に達し得ない、真の超絶技巧の領域に属するものであるということは恐らく間違いないことであろう。
録音演奏に際しての指使いの例
ここでは、録音演奏におけるインヴェンションの中の一部の指使いを紹介する。これは私自身が考えた指使いであり、各曲の中心となって曲全体を支えているテーマ(フィグーラ)を考慮して指使いを当てた。
インヴェンションは二声の、シンフォニアは三声のフーガ形式となっているので(厳格なフーガではない)、そのテーマと対旋律が曲を構成している。ここではテーマの性格の異なったものを5曲ほど取り上げてみた(譜例16〜20)。
インヴェンション C dur
出だしの C D E F D E C G のテーマは主にモンテヴェルディのミサにおけるフィグーラとの共通性から「キュリエ・エレイソン」Kyrie eleison、またバッハの『ロ短調ミサ』の「平安を与えたまえ」のフーガ主題との関連性から Dona nobis pacem (私達に平安を与えたまえ) などのテキストがつけられる。またこのテーマの中の C E G の1、3、5度の上昇型は「目覚めよ」Wachet auf...... のコラール。続く右手のC H C Dの対旋律は最初の右手の音のC、また第1小節目の左手の最後の音Cを含めると C C H C C の『ロ短調ミサ』の Quoniam tu solus sanctus (あなただけが聖なるもの) のテーマとなる。C durと比較的同じアフェクトを持つ曲はB dur、Es dur、D dur。
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インヴェンション d moll
古い運指法は出だしのこのスケール的な音階を、右手においては第2、3、2、3、2、3指あるいは3、4、3、4、3、4指で奏する。ここでは典型的なスタイルの3、4、3、4、3、4を当てた。左手は出だしの D E F G A B のBは上鍵盤(ピアノでは黒鍵)になるので第1指を使うことが出来ない。よって3、2、3、2、1、2指となる。
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インヴェンション e moll
この右手の5度の下行型 H A G Fis (G) E は、バッハが好んで使ったコラール "Jesu meine Freude" の変化型である。ここではこのテキストが一フレーズで歌われるのが望ましいため5、4、3、2、3、1指と、5度の和声感を出すようにした。このフィグーラを持つ曲としては他にf mollがある。
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インヴェンション F dur
この出だしの F A F C F F のオクターヴ跳躍は、オクターヴそのものが意味する「全宇宙」のフィグーラであるので、指使いも右手が1、2、1、4、1、5指、左手が5、3、5、2、5、1指と、ひとつの手でフィグーラを浮かび上がらせるようにした。続くG durも同様の意味を持つ。ただしG durは8分の9拍子のパストラーレ、あるいはクリスマスのイメージが強いので、F durとはアフェクトが異なる。またB durも同様のフィグーラを持ち、アフェクトもG durの響きに近い。
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インヴェンション g moll
YouTube動画
インヴェンションとシンフォニアの録音演奏について
上記論文において公開しているインヴェンションその他の演奏は、丸山桂介氏著書『バッハ「聖なるもの」の創造』(春秋社/2011)に同梱されている演奏CDからの引用です。また、YouTubeにおいて公開している動画も同じ演奏を用いています。同CDにはインヴェンションとシンフォニアの全30曲の演奏が収録されていますので、合わせてご参照下さい。
クラヴィコード演奏: 臼井雅美 Performance: Masami Usui
クラヴィコード製作: クリスチャン・フックス Clavichord: Christian Fuchs
使用楽譜: Inventionen und Sinfonien: Faksimile nach der Urschrift [出典: Frankfurt ; C.F. Peters, 1965 (Public-Domain)]
録音担当: 箕輪豊 Recording: Yutaka Minowa
録音日時: 2010年9月 Recording date: Sep., 2010
録音場所: 東京音楽大学Jスタジオ Recording Place: J-Studio, Tokyo College of Music
閲覧楽譜: W.F.B.の音楽帳 (facsimile版直筆譜) [出典: IMSLP]
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